吉田幸生のスケジュール帳

関西を中心に、主にシャンソンの伴奏ピアニストとして 活動する吉田 幸生の公開スケジュールと雑記帳です。

持ち物再考

今回のぎっくり腰対策で、長年ウエストポーチに収納、持ち歩いていた物を、仕分けしました。上右から左に(そのまま左右に降りていく)解説します。
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マスク、アイマスク、絆創膏、
毛抜き、手鏡(とげぬき用。出番はほとんどない)目薬(同じく出番なし)、
ト音記号のイヤリング(もらいもの、一度遊びで使ったきり)、
サージカルテープ紙製、コーフル(傷薬)、痛み止め、
水500ml(飲む、洗うなど何でも使えるので水に限る。)
年金手帳、仕切書と領収書と収入印紙のセット、一筆箋、
カード入れ(失くしても困らないもの)、
唐草模様のカード入れ(もらいもの。銀行カード類のうち普段使わないものを入れてます)、
ぽち袋、ホットコーヒーホルダー、スマホ立て、クリップやゴム(ほとんど出番なし)、
スプーン、フォーク、ストロー、調味料各種(時々役に立つ)、
ミニ整理袋、紙袋(飛行機乗るとくれるやつ)、A4サイズの入るビニール袋、
スマホ用充電池、充電コード、巻尺(超薄型だが140cm測れる、なかなかの優れもの)、
切手、お薬手帳、印鑑登録証、イヤホン

ここまでの物は、別途収納して持ち歩くことに。
以下のものは引き続き腰に。

靴ベラ、ポーチを引っ掛けるためのSカン、
印鑑各種、住所スタンプ、ボールペン、消しゴム付き0.9mmシャープペンTUFF、
老眼鏡とその袋、札ばさみ、チケットや払込票入れ(払込票サイズに切ったアクリル板をガムテでつないで自作)、
放射能警報器(東北大震災の時に入手、電池切れたままです。これはもう持ち歩かないな)、
爪切りばさみ、爪とぎ(もらいもの)、耳かき(映し忘れ)、
名刺入れ、パスポート、財布A(小銭やレシート)、
財布B(普段よく使う銀行やクレジットカード、交通ICカード、免許証、保険証)、家の鍵
財布はチェーンでつないでポーチにひっかけてます。落とすのが心配で。

これだけのものが、長年愛用の(2代目です)NOMADICのWISE-WALKERというブランドのウエストポーチにきちんと整頓されて収まっていたわけです。持ち手の付いているポーチがなかなかなくて、探し求めている内に東急ハンズで見つけました。残念ながら、もうどこにも販売してないようです。ボトルホルダーはセットではなく、別途買い求めたアシックスのもの。
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総重量2.6キロのうち1.4キロの減量に成功。収納物が減ったので、ポーチをもっと薄いものに変えれば
さらに軽くなることでしょう。

次回はいよいよ、ピアニスト稼業用七つ道具のご紹介を。乞うご期待。

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カスカレスさんの思い出

25年前(だいたい)、ヤスコさんがフランスのミュージシャンとコンサートするのに、シンセサイザーのサポート役で呼ばれた。たぶんDX-7かなにかを担いでリハに赴いた。現場に着き、挨拶を済ませた所で突然ヤスコさんが「私用事があるから先にリハやっといて」と出て行ってしまった。
え。
あの、僕フランス語聴き取れない喋れないんですけど。
ピアニストのジルベールカスカレスさんも、歌手パトリックミナールさんも日本語聴き取れない話せない。
少し英語の心得があるミナールさんがコンタクトを試み(てくれたと思う、たぶん)たが、それも覚束ないとわかると、言葉によるコミュニケーションは諦めた我々のリハが始まった。

楽譜はごく簡単な代物で、どこでどんな音を出せば良いのかは全くこちらに委ねられている。
で、ともかくもせーので音を出してみて、良ければカスカレスさんが一言「OK」。だめなら「ワンモア(もう一度)」。ダメな時は、どこがどうダメなのか、フレーズがだめか、音色がダメか、ボリュームがだめか、一切説明は無く、ただひたすらワンモアを繰り返すのだ。
そんな音合わせが約3時間。次第に何となく掴めてきたのだろう、OKの数は増えていったように覚えている。

本番がどうたったのか、などは全く覚えていないが、そんな若かりし日の一コマです。
今日25年ぶりに会いに行きます。


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グレコ2014大阪公演見聞録

 東京公演の評判を聞いて急遽チケットをゲット、昼は京都、夜は大阪の本番仕事の合間を縫うように肥後橋のフェスティバルホールへ駆けつける。さすがに3階席は舞台まで遠いが、その代わりステージが全て見渡せる。
 さて、暗転の中ピアノとアコルデオンが浮かび上がり、なにやら難しげな演奏が始まる。何の曲かな?と思っていたら、ステージ後方に照明が射し込み、グレコが奥からゆっくりと歩いて登場。とたんに演奏が変わった。なあんだ、歌なしの前奏曲だったのね。
 ステージ両サイドの壁に大きい字幕スクリーン(液晶パネル?)。曲名や、歌詞翻訳が表示される。ステージ中央に、グレコ用のモニタースピーカー、その間に液晶モニターも設置されている。おそらくここにも曲名など表示されているようだ。その証拠に、昔見た公演(なんと今までに23回来ている)ではピアノのジュアネストが次曲のイントロをちょろっと弾いて、グレコが、あ、そうね、という感じで改めて曲が始まって(ほとんど全ての曲がそうだった)いたが、それが無いので進行がスマートだ。
 まずはジャックブレルの比較的マニアックな歌から数曲。おなじみのアムステルダムになってもお客さんたちはシーンとしたままだ。「難しいわね」という雰囲気が伝わってくる。ブレル特集は終わって、グレコのヒット曲中心になる。上から見ているからよくわかるのだが、この辺になるとジュアネストは譜面置いてない。それまでの曲もせいぜい半ぺら1枚くらいの簡単な楽譜(楽譜ですらないかも)。「パリの空の下」がかかって、やっと客席が「わーい!」という雰囲気になった。しかしグレコは再びブレル特集に戻る。
「あの人たち」という、聞き慣れぬ歌が印象に残る。他の歌はほぼ内容はわかっている歌なので字幕は邪魔だったが、この歌では助けになった。おなじみの「懐かしき恋人の歌」では字幕の訳文が眼に入った時、ふと、今までどれだけの日本人歌手と訳詩家がこの曲に取り組んで来たのか、との思いがこみ上げ、急にウルウルっときた。みんなあなたの歌たち(と、あなたが伝えようとしているブレルの歌たち)を愛し続けてきましたよ。一緒に歩いてきたんですよ、という思いをステージに送った。自分も間違いなくシャンソンの伝導者の一人なのだ、と改めて気づく。ラストはジャリーブ(孤独への道)、行かないで、と畳み掛けて、アンコール代わりの「さくらんぼ実る頃」でグレコ2014は幕を閉じた。
 買ったまま積んであったgreco chante brelを聴く時がやってきたようだ(「あの人たち」が1曲目に入っている)。
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ホタルをさがしに

 近場ではどこで飛んでいるのかネットで調べてもよくわからず、
適当に見当をつけて能勢方面へ30分ほど車を走らせる。
はじめ、道の駅の裏手の川を覗いたら皆無。
だが、ちらほら集まってきている人はおり、ここらで見られる事はわかった。
今日飛んでないのは、時期的に遅いか(6月中旬がピーク?)時間がまだ早い(7時ごろでした)か雨の影響か、などと講釈してくれる人もおり。ついでに、今年は30円や。去年は20円やった、と付け加えられ、あんた、取ったらあかんやろ、と心の中で思う。ちょっとしのぎ系の人かも。

そこで、もう少し上流まで車でさかのぼり、降りて橋の上から目をこらすと、あ。
いた。ボツンボツンと豆電球のように点滅してる。
やがてあちこちでひらひら~と飛び出した。しまいには私たちの所まで飛んでくるのもおり、皆でわあわあ言って追いかけたり。

群舞ではなかったが皆大満足。また来年も必ず来よう。

(添付の詩は鈴木敏史さん作。娘が書写しました。)
ほたる鈴木敏志

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梅騒動



 先週の土曜日、電話が鳴った。名乗られたがピンと来ない。「庭を綺麗にしたので、梅、どうぞ採って下さい。落ちて来てるんで採り頃かと。」で、やっとどなたかわかった。
実は自宅前の路地は左へ下って行くと行き止まりの谷になっているのだが、その手前に立派な梅の木(だけではなく柿やぐみ、みかん、果ては芭蕉の木まで)のある庭があるのだ。
ここへ越して来て以来ほぼ毎年小梅の梅干を作っているのだが、この梅の木は小梅が実る。だが庭の持ち主は全く手を付けない。欲しいなあ、と思いつつ毎回購入していた。ある年思い切って「採らせてもらえないか」とお願いしてみたところ、「だめだ。わしはここで静かに暮らしたいのだ。一切関わらないでくれ」と、ケンもホロロに訳の分からない理由で断わられ、諦めていたのだ。その方からの嬉しくも有難い電話だった。
今年はたまたま小梅を買い逃していたことも逆に幸いした。翌日朝から小雨降る中、小梅の木に挑む。デスクワークは山積みだが、出かける仕事も来客も無い今日しかタイミングはない。

 何しろ、鑑賞用でもなく収穫用でもなく一切手入れされず勝手気ままに育った(っぽい)小梅の木は、この庭(というより雑木林)の中心として君臨しており、自由奔放に伸ばした枝枝に鈴なりに実っているのだ。おまけに地面は熊笹やつる草その他伸び放題の、しかも急斜面で、足場が悪い事この上ない。
取り急ぎホームセンターでブルーシートを調達してきて下に広げ、竹竿で揺らして実を落とす。これがまた、チョンチョンとつつく程度では落ちない。ある程度の力を加えて揺さぶってやらないとダメなのだ。ブルーシートをあちこちに、苦労しながら移動させつつ、家族総出で約2時間。半分くらいの実を落とした。これ以上は、体力的にも分量的にも限界だ。

写真 3



昼食もそこそこに、小梅たちを風呂場に持ち込み、湯船に張った水にぶち込んで枝葉を除去しつつ洗う作業に入る。2時ごろ漸く洗浄完了。
次は計量だ。体重計で測ると、なんと50キロ!。
今までせいぜい梅干4キロ梅酒1キロ製造していた身からすると、いきなり業務用レベルである。
家に転がっている容器や庭石などかき集めてどうにかできる分量では無い。
再びホームセンターに車を走らせ、プラ樽、重石、塩を調達。
夕食もそこそこに、梅を傷ものまたは熟しすぎ、これは煮込んでジャムにする用、あとは<綺麗に熟したもの、まあまあ、青梅>の3種に、爪楊枝片手にへたをとりつつ仕分けする。夜10時で中断して寝る。

 翌朝朝食後から作業再開、結局綺麗に熟した5キロ、まあまあの21キロを梅干に仕込む。
残った青梅の処理に悩む。これだけの量を梅酒にするのもどうか、と悩んでいたところ、妻の友人が10キロ引き取ってくれる事になり、早速荷造り。あとは2キロを近所のママ友にプレゼントして手元に残った青梅が2キロ。これは1キロ梅酒、1キロ梅シロップに決定。漸く梅処理が終わる。

降って湧いた小梅50キロ騒動、これにて一件落着。
もし来年以降、吉田印の「つつじ谷の手作り梅干」がお店に並んだら、それはこの梅です。

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